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2012  ベトナム  ハノイ市における湖沼水環境改善および住民の環境意識向上プロジェクト(2013年1月終了)
2012 インド インドプネ市ムルシ地区での女性のエンパワメント事業
2012
ケニヤ
ケニヤ 干ばつ救援事業
2012 東北
東日本大震災復興事業

 

ハノイ市における湖沼水環境改善及び住民の環境意識向上プロジェクト

  ハノイ市では住宅排水の大半は未浄化のまま直接川や湖に流されている一方、住民は日常的にゴミを川や湖へ投棄する為、水環境が非常に悪化しています。

 今回、トヨタ環境活動助成プログラムの助成により、市民の憩いの場であるバディン区のタンコン湖に植栽いかだを10基浮かべることで湖水浄化に貢献すると同時に、いかだ上の植物が湖水の富栄養素を吸収して生長する姿を見せることで、住民の環境保護意識の向上に役立つ事を目的に行われました。また、EM菌を用いた水質浄化試験や、延べ150名の小・中学生を対象にした生物多様性と水質浄化についての環境教育、及び住民や有識者、政府役人を対象としたワークショップを行い、ハノイの水環境改善について話し合いました。

  事業地であるタンコン湖は人造湖であり、自然の造形物等が無い為、魚等の隠れ場所がありませんが、植栽いかだは格好の場所となっています。また、植物の根には水生動物が植え付けた卵が多く見られることから、生態系の維持にも役立っていると思われます。

  現在、ハノイ市の助成により、現地の環境会社が作成した植栽いかだが市内各所の湖に浮かんでいます。また、観光地で有名なホアンキエム湖にも浮かんでおり、水生植物の他に花も植えられており、観光客の目を楽しませています。

 

インドプネ市ムルシ地区での女性のエンパワメント事業

 プネ市の近くのムルシ地区で、JICA資金による女性の支援事業が始まりました。これに先立つ3年間にわたり、女性達は男性達による灌漑、酪農及びバイオガス事業を見守ってきましたが、この事業では女性達はコンピューターの使い方や縫製、そして他の事業の見学に出かけて行くなど、活発に活動しています。この1年間のトレーニングにより、人々は土地を売る事を止め、村の平和な生活に戻り始めています。

 

ケニヤ 干ばつ救援事業

 2011年10月初め、ジャパンプラットフォームはケニヤにおいて、以下の地区における干ばつ救援事業を支援することを決定しました。ケニヤ・ソマリア国境のマンデラ、マサイ族のガリッサ、南ホール、そしてロリヤンガラニ地区です。目的はケニヤの少数民族の支援です。学校及びコミュニティのための食糧配布や給水タンク、パイプの敷設は、この地域の中でも特に北部ケニヤの南ホールやロリヤンガラニにおいて大きな影響を与えました。これらの地域は長い間忘れ去られ、女性は毎日水を運ぶために7-16kmも歩かねばなりませんでした。児童も食糧不足から学校の授業に集中できないことが多かったのです。妊婦でも20リットルの缶を運ばねばならず、時にその缶を足の上に落として怪我をしても、治療してくれる病院は100kmも離れています。しかし、ICAジャパンがおよそ16kmに及ぶパイプをオアシスと小川から小さな給水場へ引いてからは、女性たちは20〜30分程度で毎日きれいな水を汲めるようになりました。中にはほんの数メートル歩くだけでよい女性たちもいます。溢れた水は学校の菜園に引かれ、子供たちは野菜を育て、木を植えることが出来ます。学校への食糧配布は、親たちに子供を学校に行かせる意味を理解させました。コミュニティからの参加者が非常に多くなりましたが、これは人々がコミュニティと直接協働するICAのやり方を好きだからと考えています。

 今、人々は水源地の周りの雑草を刈って、将来にわたって水源地の周囲を清潔に保つことを計画しています。

 

東日本大震災復興事業

 2011年3月1日に東日本で起きた地震と津波の人的被害の数値は、死者16,170人、行方不明者8,857人、避難所への避難者109,561人にも上ります。広大な地域と無数の家屋が津波の引き潮で海に持って行かれました。家屋を再建する為の「津波保険」はないのです。

 ICAは津波の5日後に援助活動を開始しました。家族や家、家財道具を失い、避難所に逃れた多くの人々に、ICAは水、移動式コンロ、食糧、懐中電灯、灯油、トイレットペーパー、タオル等を届けました。震災直後は、現地のホテルでも石油も電気、水もありませんでしたので、被災地で活動することは大変困難でした。

 当時、岩手県から福島県に2000カ所の避難所がありました。一カ所の避難所に700から1000人の避難者が暮らしていました。3月はまだ寒さが厳しいのに暖房器具がありません。人々は寒さと飢えに悩まされていました。一日にパン一切れしかないこともありました。

 3ヶ月後には避難者もかなり仮設家屋等に移って行きました。しかし、お母さん達を困らせたのは原発事故による放射能です。子供達は教室の窓も明けられず、校庭で遊ぶことも出来ません。学校に行くのに、いつもマスクをして長袖の服を着なければなりません。

 避難所から仮設住宅に異動が始まったので、ICAはベッド、家具、調理用器具等、新たに必要になった物を届けました。

 その後、ICAは活動場所を仙台から福島に移しました。福島では空気清浄機や扇風機、水濾過器等が必要でしたが、多くの企業がジャパンプラットフォームを通してこれらの機材を寄付してくれました。フイッシュ財団は現地漁協の集会所を建ててくれました。アメリケアは速やかな物資配布が出来るように、ICAと協力しました。

 現在、政府は道路補修、瓦礫の収集、漁船の修理/建造、そして放射能ヘの対応に追われています。多くのお金がこのために使われるでしょう。

 多くの人たちがボランテイアとして名前も知られることも無く、自分達に出来ることをやったのです。自然の災害は私たちが忘れていた自然の力を教えてくれました.

 ICAは今、「心のケア」に関する支援の準備を始めています。これは森に散歩道を造ったり、放射能の心配の無い温室での野菜の水耕栽培に取り組む活動などを通して、人々がこれからの暮らしの再建に取り組む力を取り戻すきっかけになることを期待しています。

 

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