ペルー地震被災者支援「中南部農村地域における初動調査および緊急物資配布事業」2007年8月23日〜9月4日調査 ピスコ郡ウマイ地区
![]() ほとんどの建物はアドベ(日干しレンガ)でできており、全壊もしくは居住不可能となっていました。一見被害が無かったように見える家屋も、中はひどく崩れていたり、アドベの組み合わせがずれていたりと、補修もしくは建て直しが必要な状況でした。被災者は家財を守るため、家の前の路上にシェルターを作り生活を送っていました。 ![]() ウマイ地区では全部で41の炊きだし所が運営されていました。鍋は利用者自身が持ち寄ったものを使っていますが、利用者の多さに比べ絶対数とサイズが足りず一回の食事時間で何度もくりかえし調理しているところもありました。また米やパスタなど現地で毎日消費される食材が不足していました。 チンチャ郡チンチャアルタ地区
![]() チンチャアルタにおいては、中心街と周辺部の被害の度合いに大きなコントラストが見られました。中央市場こそ安全の為建物内部での出店が中止され、売り子が外で雑然と商売をしていましたが、全体としての被害はそれほど大きいとは感じられませんでした。しかし、ひとたび周辺の居住地区に入ると、場所によっては家屋が全滅状態というように被害の大きさは一目瞭然でした。
![]() 調査で訪れたチンチャアルタ地区のチャバリナ、エル・ティグレ、ドス・プエンテスといったコミュニティーは貧困層が比較的多く住むところです。被災者は左の写真に見られるように広場に集まり、手に入りうるあらゆる材料でシェルターを作り避難生活を送っていました。また、家財道具が心配な家族などは右のように路上に作ったシェルターとも呼べないような環境で夜を過ごしていました。震災が起きた8月は現地では冬であり、夜などは相当冷え込みます。
![]() 被災者が自分たちで設置したシェルターの様子です。みたとおり、使われている材料は、葦を編んだマットだけでなく、商品宣伝の垂れ幕やビニール袋を切り開いたものをも利用しており、密閉性に乏しく夜の防寒の役に立つことはほとんどありません。中には取り合えず日々必要な家財道具などが雑然と積んであり、中にはベッドを運び出して利用している被災者もいましたが、中に住む人数に比べマットレス、毛布の数は余りにも少ないものでした。
![]() 倒壊率の高い地区の路上では、被災者が掻き出したがれきが道を塞ぎ、到るところで通行不能となっていました。そのため、場所を移るたびに迂回路を取らなければならず、後におこなった緊急支援物資の配布では苦労しました。すでにイカ州政府もしくは鉱山会社の提供するショベルカーやトラックががれきの撤去をおこなっていましたが、燃料を購入する資金がなく、次から次へと出てくるがれきの量に処理が追いついていませんでした。 物資の配布 チンチャアルタ地区
![]() 配布物質の調達は、炊きだし所に配布した食糧(写真右)を除きリマでおこないました。各業者からいったんリマの事務所に配達され、そこから雇われた中型トラックに積み込みチンチャに向けて搬送します。チンチャ州へはペルー海岸部を縦断するパンアメリカン・ハイウェーがあるため運送に支障はないのですが、上述のとおりチンチャ内での移動ではがれきに悩まされました。食糧はチンチャの卸売業者から仕入れ、直接各炊き出し所に配送されました。 配布の下準備として水タンクの中に2枚の毛布と日本の支援であることを明記するビラを入れこれを一家族向けのセットとしました。水は給水車により無料で配給されていましたが、一度来ると次はいつになるか分からないため水タンクは重宝されました。シェルターを応急処置するためのプラスティックはロール状になっているため、大聖堂前の広場で10mずつ裁断して配布に備えます。 ![]() 支援物資の略奪がまだ散発しているという情報があったため、不測の事態に備え配布時は警備員に同行してもらいました。各コミュニティーへの道中を先導してもらい、配布時にも二人が実際の作業を手伝ってくれました。 ![]() 配布方法は、先立って行われた調査時にリーダー格の人に受益者のリストを作ってもらい、当日そのリストに応じて手渡すというやり方です。リストには家長の名前と共にID番号を記してもらい、手渡す際にIDの提示を求めました。 |
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