ペルー地震被災者支援
「チンチャアルタにおける炊き出し所を起点とした
コミュニティー復興緊急支援事業」
2008年1月1日〜3月15日


続く活動 2007年12月。チンチャアルタにはまだ震災後と大して変わりない生活を送っている人が沢山いました。屋根の落ちた部屋で寝る人、テントで暮らす人。ICAはそれまで実施してきたシェルター事業に対するニーズがまだまだ大きいことを感じ、引き続きジャパンプラットフォームの支援を受け、すぐに第二フェーズに取りかかりました。
新たなリーダーたち

事業の要となるのは前回に引き続き被災者の中から選ばれたリーダー(プロモトール)たちです。裨益者が多いため、彼らに技術や知識の伝播役になってもらいます。今回の裨益者は、主に炊きだし所の利用者から選定されました。この時期でも炊きだし所を利用しているのは、復興により苦労している人たちだろうという類推によります。リーダーといっても、他の人と同じ被災者です。この事業で与えられる責任を全うすることにより成長していくことが期待されます。

5日間の泊まり込み研修を終えて帰ってきたリーダーたち。行きのバスの中では緊張気味だった彼らも今や雰囲気が全く違い、皆高いモティべーションで帰ってきました。翌日、全体ミーティングがあり、必要な用具が各リーダーに配られます。この黄色い帽子をかぶることが、彼らがこの事業を推進していくコミットメントの証しとなります。
シェルター設置の手順

今回はリーダー全員のモデルシェルター造りの様子を参考に、シェルター設置の手順を詳しく見てみましょう。セミナーを通じた知識はあるものの、これまで彼らは実際にシェルターなど作ったことなどありません。しかし次の日からいきなり彼らは自分たちの担当する区域で頼りにされる存在となるのです。この機会を通じて彼らはシェルター造りに関する注意点について学習します。まずはきれいに掃除した敷地に穴を穿ち、木材と竹を使いシェルターの枠組みを作ります。

特にドアを取り付ける部分は入念に幅を取る必要があります。広すぎても、狭すぎても、後から調整することは困難です。枠組みができたらその上から防塵のためのビニールシートを巻き付けます。

この時期はちょうど夏に入っていく時でした。このビニールシートによって日中シェルターの内部はかなり暑くなります。ところが夏は非常に短く、冬の間、特に夜間の寒さが厳しいため、冬の防寒か夏の涼しさかどちらかを優先せざるを得ませんでした。結局、ビニールに切り込みを入れて窓を作ることにより、何とか夏でもやり過ごすことができるものとなりました。最後はビニールの上から葦でできたマットをかぶせて、ドアを付ければ完成です。

初めての作業を終えて一息つくリーダーたち。近所の方から昼食が振る舞われます。全員作業で半日以上かかりましたが、今後何十というシェルターに関わるうちに、最後はてきぱきと指示を出し数時間ででき上がるまでに熟練してしまいます。
ひたすら作る

いよいよリーダーが各地に散らばって作業を始めます。シェルターを受け取る被災者とは、所有権による問題などを未然に防ぐため一人ひとり契約を結びます。これも各リーダーの役割の一つです。その間にも配布に備え各地から資材が倉庫に搬入されます。リマからのトラックはいつも夜中に到着するので、その度にスタッフは資材管理のために徹夜です(通称Operacion
Comando)。トラックに赤十字が着いているのは被災者向けの資材であることを示すためです。どの程度効力があるのか分かりませんが、ハイウェーで警察に呼び止められるのを防ぐためとのことです。

そうして倉庫に貯蔵された資材を今度は裨益者の人々が自分で運び出します。男性は仕事探しに行っていることが多いため、女性が多いです。ただ、被災者の生活状況を把握するために、これ以上はないインフォーマントにもなってくれます。

子供が手伝う一方で遊ぶ大人??見なかったことにしましょう。 倉庫ではこのようにロール上になっているビニールシートの芯やドアが入っていた袋などゴミが大量発生しますが、ほぼ全てがリサイクルされたり他の用途に使われます。この芯は保育園の先生が工作に使うと持っていきました。葦マットから落ちる枯れ葉でさえ、焚きつけ用に持って行ってしまいます。職が少ないというのが主な理由ですが、倉庫内のみならず一般的にゴミのリサイクル率が高いです。
それは兎も角、倉庫から運び出された資材は各地で家族に分配されます。その週に順番が回ってきた家族は5家族のチームを作り、リーダーの補助を受けながら共同で設置作業を行ないます。

実際に設置作業をする被災者の人たちです。右写真は柱を立ててから枠組みを作るのではなく、地面の上で組んでから床面に埋め込むと水平をとりやすいということに気付いた人たちの工夫です。このようにある場所で良いアイデアがでた時は、リーダーとの会合でシェアされ、他の場所でも必要に応じて実践できるようにしています。

白いシャツに帽子の女性はリーダーの一人です。彼女と左下写真の女性二人が担当する地区は今回の事業で30ある地区のうち全般的なシェルターの質が最も良かったところです。右下は平均的な質のものですが、彼女たちのシェルターの精確さと比べてみて下さい。彼女たちが手伝ったシェルターは下にある青いビニールがほとんど見えていません。最初は会合に参加してばかりの彼女たちに嫉妬していた夫たちも最後には彼女たちに協力し、ほぼリーダーと変わらぬ働きっぷりでした。


右の壁に立て掛けてある葦マットは某所で見かけたものです。実はこれは政府が配ったものです。我々のモデルを参考に資材を配ったのですが、設置指導する人材を育てなかったため、このように放置されたり転売されていました。資材もビニール袋とドアは含まれず、企業から寄附のあったセメント袋を付けるなどちぐはぐなものでした。一見自明に見えるプロジェクトも、一つ要素が欠けると計画時に思い描いていたこととは全く別の結果となってしまいます。
現地での研修

事業半ばに副理事長のウェインが訪秘し、「パーソナルスタイル」というワークショップを行ないました。自分の性格を把握し、異なるタイプの相手と良好なコミュニケーションを取る際にどのような点に配慮すべきかということを学びます。復興のように団結が重要な時期には特に必要なスキルです。性格判断のようで面白いワークショップなので、リーダーたちは各コミュニティーでも実施していました。
完成

こうして更に1,770軒余りのシェルターができ上がりました。被災者もリーダー(彼らも被災者ですが)も満足そうです。
右下の写真に写る建物の土台は、とあるカップルの家があったところです。マテリアノブレと呼ばれるレンガやセメントを使ったいわゆる「近代的な」家でしたが、完成1週間を経ないうちに地震で崩れてしまったそうです。その後、この敷地には後方に見えるようなシェルターが建ちました。どのような気分なのか、想像もつかないし訊くこともできませんでした。

炊きだし所→共同キッチン

前回に引き続き、炊きだし所への調理器具配布とシェルターと同じ素材を使った日よけが付いたスペース作り支援も行ないました。事業地を駆け回るのに大活躍したのが写真の白いピックアップ。現地のトヨタ代理店であるMitsuiさんが被災地支援として格安でレンタルしてくれました。

炊きだし所のスペースは各所様々なので、特に決まった日よけのモデルは作りませんでした。各自作業しやすいように思い通りに組み立てています。Olla
Comun、つまり共同鍋というのが炊きだし所の現地での呼称です。左上の写真、見えにくいですがカタカナで「オジャ コムン エレミアス ガルシア」と書いてあります。
右上では明日の食材が歩いていました。

少なからぬ炊きだし所で日の丸が見られます。多くの炊きだし所が毎日のように我々スタッフを昼食に招待してくれました。最初のうち、被災者から食糧貰っていいのだろうか?と深刻に考えていたのですが、我々が食事に訪れることを彼女たちが本当に名誉と感じていることに気付き、それからは普通に招待を受けていました。ただ、これは被災者と会話する絶好の機会でもありました。

右上の写真は炊きだし所の一つですが、Olla ComunではなくCocina Comunitaria(共同台所)と書いてあります。これは途中でチンチャ郡が炊きだし所の呼称を変えたためです。代わったのは呼び名だけで、登録番号をはじめ運営の仕組みは代わりませんが、震災のイメージがつきまとう炊きだし所という呼称をやめることにより復興に向け人々の意識を向ける意図があります。
今回も事業前半、事業後半の比較写真を見てもらいましょう。ドス・プエンテスコミュニティーの写真です。場所が少しずれている上、まだ人が残っている場所もありますが、球技場を埋め尽くしていたシェルターの多くが撤去され、子供たちがサッカーをやるのに十分なスペースが確保できました。
今回の事業では 1,770 軒のシェルターを設置し、62 か所の炊き出し所に対し機材支援を行ないました。ICAは共同台所、耐震性の恒久住宅など今後も復興に向けた活動を実施したいと考えています。
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